身近な出来事

平穏なサラリーマンから変身し、日当で暮す職人見習いの覚書です。
文中に実名が表現されるかも知れませんが深く追求しないように。
2005/04/12    遍路結願をめざして 高松
88箇所の残り寺を完結すべく軽トラに自転車と野宿道具を積んで雨の中、岡山宇野港を目指す。
前回まで輪行で電車かバスを利用しての四国行きだったが、今回は足摺岬を目指すので自動車のお世話になる事とした。
極力自転車で札所を回ることにする。
夕方6時過ぎに高松に上陸、早速うどん屋で讃岐うどんを堪能し、銭湯できれいになってフェリー乗り場近所の駐車場で一夜を明かす。
雨なので軽トラのキャビンで寝るが狭くて体が攣りそうになる。
あまり寝れなくて朝を迎える。
 
2005/04/13    香川県 84番から88番まで制する
朝には雨もあがり84番屋島寺を目指す。
吉野家で朝から豚どんを食すが腹がへっていたのでとてもおいしい。
いきなり遊歩道を1時間かけて屋島寺まで歩いて登る。山頂から見る瀬戸内海はパノラマのよう。散った桜の花が白いじゅうたんのようできれいでした。
85番八栗寺も山の上で貧乏な私はまた歩いて山頂をめざす。
ケーブルカーやタクシーは昔は無かったと言い聞かせてひたすら歩く。
85番から86番志度寺、87番長尾寺は自転車で走る。
レンゲや桃の花が咲く中を気持ちよく走る。88番大窪寺までは軽トラのお世話になる。
とてもじゃないけど急な坂を軽トラはうなりながら登っていく(感謝)。
88番大窪寺は1番霊山寺に匹敵するくらい媚びてつまらない寺で早々に退散する。
讃岐山脈を越えて市場町で野宿となる。
2005/04/14    安楽寺お礼参り、いきなり四万十川へ
泊まった駐車場には女の子5人の遍路が泊まっていた。
88箇所歩いて結願し1番にお礼参りする途中だそうで、みんな良い顔をしていた。
今後の人生でこの経験がきっと生かされると思う。
3年前安楽寺で区切り7番から11番まで抜けていたのを今回埋める。
自転車で通った道は3年たっても覚えている。
地図を見ながら軽トラで寺を進んでいくのはつまらなかった。
11番藤井寺から12番焼山寺への山道はほんの数百メートル歩くに過ぎなかったがここをどんな気持でみんなは歩いたのかと思うと車で移動する自分が情けなくなる。
次回は歩いてみたいと思う道。
でも現実はいきなり四国山脈をつっきり高知県を通過し、遍路初めの寺、須崎市に止まる事もなくとりつかれたように中村市まで走ってしまった。
窪川の坂は自転車では辛かっただろうな。長いトンネルは命がけだなと60kの速さで通過する自分は何が目的で四国に来たのかわからなくなっていた。四万十川河口近くの公園で野宿する。
2005/04/15    足摺岬
321を南下に足摺岬の付け根で自転車に乗る。せめて半島ぐらいは自分の足で走りたかった。
大岐の松原では波打ち際を自転車で走り、旧遍路道をくねくね走り雄大な景色の先にあっけなくとつぜんみやげ物売り場と一緒に足摺岬がやってきた。
なんなんだ、これは。
砂漠の中のオアシスのように自動販売機や駐車場、道と同じ高さにある38番金剛福寺、さんざん山の上や山奥にある札所が多い寺でこの寺と十夜ヶ橋はドライブスルー札所だ。
札所で自転車で来たと言ったら手ぬぐいをくれた。ここまで来るのが山の上に登るより大変な場所と言えばそうだが。
明日には兵庫に帰らなければいけない。
せっかく地の果てまで来たのに残念。宿毛で野宿する。
 
2005/04/16    最終日、また来ます。
40番観自在寺が私にとって結願の寺となった。
88枚の納経帖は私の宝物となった。
3年の間、いろんな事があった。
自分で決めたこと、事情があってそうせざる得なかったこと、今でもあの時に戻ってやり直せないかと思うこと。
時間は過ぎていく。
過去は過去の事と割り切り今の自分を悔いることなく生きることを88枚の御朱印は教えてくれる。
空とは何も無いのではなく、何でも受け入れてくれる無限の懐だと思う。
次回はぜひ、今回軽トラでパスした道を自分の力で走りたい。
88箇所めぐりはこれから始まる。

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Last updated: 2006/6/23