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allein in Deutchland

97年9月25日 8日目
ブレーメンと左ライン線

国土縦断高速列車

朝5時45分、終着のフランクフルトを目前にしてフルダ(Fulda)で降りる。ここは「中央駅(Hbf)」ではなく当のフルダの町自体もごく小さいが、ここは超高速列車であるICEとフランクフルト方面、さらには旧東独方面との接続駅でになっており、鉄道の要衛である。サマータイム制を採用しているがまだ夜は明けておらず、北緯50度の寒さがこたえる。向かいのホームではフランクフルトに通勤するであろう人が幾人か並んでいる。

本日はここからブレーメンに向かうのだが、肝心の列車は1時間ほど待たないと来ない。列車が来るのをしばしホームで待っていると、遠くで光るライトが見えて、ほどなく白地赤帯の高速列車が入ってくる。これはブレーメン方面に向かう列車ではないのだが、ずっと待っているのも退屈なので、この列車に乗り込んだ。列車はフランクフルト発ベルリン行きの高速列車であり、時間が早いためか客はほとんどいなかった。

ICE路線では起伏差の大きい地形に対して、長く高い橋をいくつも架けて高速走行を実現している。後日ヨーロッパの鉄道写真集で見たそれは、朝雲が架かっている谷の真上にコンクリートの高い柱と太い梁が並んでおり、その上を細い列車が雲の中に走り去ろうとしている、極めて幻想的なものであった。しかしそこは高速鉄道の運命、大きな窓から車窓を眺めていると本当に車窓が後ろに吹っ飛んでいる様子が見て取れる。しかも「シンカンセン」の国の住民は、その「吹っ飛び感」にすら新鮮味を感じとれない。

ちなみにこの車両、98年に開業したベルリン−ハノーバー新線用の新型車(ICE2)であり、機関車1両、制御車1両に挟まれた8両の短い編成を組むことができる(97年当時後回しにしていた中間車が仕上がったばかりでその試運転を行っていた)のが初代ICEと大きな違いである。途中のGoerringenとHannoverで列車を乗り換える。ドイツの電気機関車はどれも排風ファンの音がうるさいため、ホームで見ていてもモーターの音などはよく聞こえない。そこでどんな走行音がするのかとICE機関車の隣の車両のデッキに立って耳を澄ます。すると、ドイツ製の部品を使っている常磐線E501系・京急2000系と同様の音が聞こえてきた。

「港町」ブレーメン

午前10時頃、ブレーメン到着。ここは自転車で回るのに手頃だとガイドブックに書いてあったことと外国の自転車インフラを体験しておきたいとの2つの理由から、自転車を借りて市内見物をする。しかしこの自転車、背の高い欧米人向けにつくられているため自分の体に合わず、その上ブレーキがペダルについている(ペダルを逆に踏むとブレーキがかかる)ため、自転車のペダルをカラカラ後ろに回す習慣のある筆者は乗るのが困難だった。こちらでは自転車は「車」として認知されておりその地位も自転車用交通施設の整備も行き届いているが、その代わりモールなど歩行者専用道路ではみんな律儀に自転車を押している。

中央広場では、ブレーメンの音楽隊の銅像が物陰に立っている、荘厳な市庁舎(15世紀に建てられたゴシック様式とルネッサンス様式との混在)の前は建物に囲まれた石畳の広場になっている。その真ん前を市電が横切って行くあたり、より一層「ヨーロッパ感」らしきものを感じることができる。

ブレーメンは一応「港町」なのだが、ここから海まではヴェーザー川を50km降りないと海には出ない(実際の港湾機能は本当に50km下ったところにあるブレーメン都市州に属するブレーマーハーフェンが担っている)。しかし船がたくさん泊まっている川岸や錨のマークがついているビルを見ると、横浜や神戸によく似た港町独特の雰囲気(もっとその「独特の雰囲気」をイメージしてもらえるような言葉を充てるだが適切な言葉が思い浮かばない)が感じられた。そのあと自転車で一通り市内を見て回る。堂々とした市庁舎・教会に比べて動物が4匹のっかった「ブレーメンの音楽隊」の像はとても小さく、注意しないと本当に見落としてしまう。昼食は市内のデパートの地下にある店(食料品売場の中の食堂)でステーキを食べる。いろいろ付け合わせを追加したら、全部で20DMほどかかってしまった(実はこのことが今回の旅行で一番後悔している点である)。

音楽隊の4匹

西ドイツ縦断特急とライン左岸線

ドイツの鉄道というと「エンジとクリームの丸っこい103型機関車に引っ張られて同色の客車がライン川沿いを疾走する」風景を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。そこで、今回の旅行では「乗るためだけに」わざわざライン川左岸線をルートに組み入れてみた。列車はIC(都市間列車・ドイツ国内を高頻度で運行される特急。日本のL特急制度もこれを参考にした。)823列車「Nordfriesland(北フリース島)」である。この列車は今朝8時半にドイツ北端のSylt島を出て、ハンブルグ、ケルン、フランクフルト、ニュルンベルグと旧西ドイツを1日中かけて縦断し、夜10時半にオーストリア国境の町パッサウに着く。

車内はガラガラであり、冷房のない古い客車のコンパートメント一つを占領することができた。流れる景色を横目にしばしボーッとする。時速200キロ近い列車で窓を開けると風の巻き込み音がうるさいが、天気がよいこともあって爽快感はひとしおである。

IC823列車は15時50分に今晩の宿泊地であるケルンに到着する。しかしここではまだ降りない。ここケルンからライン川に沿って上流が「例の区間」である。列車は急カーブを曲がり、操車場をまたいで北に向かう。程なく現ドイツ連邦の首都であるボンに停車。このあたりは市街地の真ん中を走り、踏切もたくさん見かける。そして市街地を抜けると、にわかにライン川の両側の地形が厳しくなって来て、線路も道路も川に沿ってくねくねと曲がるようになる。斜面は森か段々畑になっているが、所々に岩肌が露出するように城がそびえているのはさすがヨーロッパである。ライン川は船の航行量が多く、並行する鉄道も特急列車が行き交う幹線であり、道路も交通量が多い。この一帯はドイツ国内でも大動脈のはずだが、それでいて優雅さは全く失われていない。窓を開けて景色を楽しむ。

列車はライン川とモーゼル川とが合流するコブレンツに停車。ここから先はさらに山が厳しくなる。線路はブドウ畑の斜面のふもと、奇岩ローレライや古城を見ながら、いくつかのトンネルもくぐりながらあくまでもラインに忠実に走る。両端にそびえる山が低くなってくると程なくマインツに到着。ここはもうフランクフルトのすぐ近くであり、空港を経由するSバーンの電車も止まっている。

ここからはいま来た道をケルンまで戻るが、ケルン方面行きのICはフランクフルトをちょうどいい時間に出るので混んで降り、ようやくのこと相席を見つける。車内は通路を挟んで6人掛けのコンパートメントと一人掛けの席とが並んでおり、外を見るのには窮屈である。日が傾いているため長い影がライン川に落ちており、さらに黄色い夕日に染まって対岸の斜面が金色に染まっている。行きに見たライン川とは色のつき方から光線のあたり具合まで全く異なっており、掛け値なしで違う風景に見える。「同じ道を往復する退屈感」は全く味わうことなくコブレンツ到着。

コブレンツを出てから長いトラスの鉄橋を渡る。行きでこんな鉄橋渡ったかな?と思う。鉄橋を渡ったあとの風景も見覚えがない。すれ違う列車も旅客列車でなく貨物列車が多い。怪訝に思っていると、「Bonn-Beuel」という小さな駅に停まる。実はこの列車、コブレンツからケルンまでの区間は迂回のため右岸線に渡ってしまっていたのである。本来の特急ルートである左岸線が混雑しているのだろう。列車が遅れてイライラしているせいか、後ろの席の日本人家族の赤ちゃんが灰皿で音を立てて遊んでいるのが気になる。

列車は30分遅れで日の暮れたケルン中央駅に到着。日本で予約した「ユーロプラザ」ホテルは駅のすぐ前である。このようなホテルでも、トイレの紙はみな再生紙である。時間が遅いので、駅の売店でハムを挟んだパンやデザートを買い込んで部屋で夕食。一人旅ではどうしても食事が退屈になる。たまっている洗濯物を出して洗って部屋中に干すが、この時誤って切符をポケットに入れたまま服を洗ってしまった。底知れずお間抜けである。半日を列車車内で過ごしたことを全く後悔することなく、駅の音を聞きながら寝ついてしまった。

続き(9.26:ケルンの近くに滞在)


更新日 2005.1.26
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