第5回
2001.8.25
大阪・四天王寺散
四天王寺五重塔 タウンウオッチングのTOPはこちらです

ウオッチングコース 15時40分・地下鉄天王寺駅スタート→四天王寺→超願寺→庚申堂→天王寺駅 17時40分
         ◆四天王寺◆
今から1400年前、推古天皇元年(593)に聖徳太子が建立した日本仏法最初の官寺である。物部守屋氏と蘇我馬子の合戦のおり、新しく渡来した仏教を支持する蘇我氏と、日本古来の宗教を推する物部氏との間で蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫り、祈願して勝利した。その報恩謝徳のため建てたのが
四天王寺である。聖徳太子は、四天王寺を建てるにあたって「四箇院の制」をとった。「四箇院」とは、仏法修業の道場である「敬田院」、病者に薬を施す「施薬院」、病気の者を収容し病気を癒す「療病院」、身寄りのない者や年老いた者を収容する「悲田院」の四つの施設。仏教の根本精神の実践の場として、広く一般民衆に手をさしのべ、太子信仰の拠点となると同時に、庶民救済の中心地になった。
往時は、難波津が近くまで迫っていたので、舟で難波に上陸する人は、まずこの壮大な伽藍を見たという。その伽藍は、火災や雷でたびたび焼けたが、その都度復興して南大門から中門、五重塔、金堂、講堂が南北一直線に並ぶ四天王寺式伽藍配置が今も受け継がれている。

           ★五重塔◆
昭和34年再建の高さ39.2mの塔。聖徳太子創建の時、六道利救の悲願を込めて、塔の礎石心柱の中に仏舎利六粒と自らの髪を納められたので、この塔を「六道利救の塔」という。釈迦三尊の壁画と四天王の木像をお祀りしている。
      ★西大門★

西大門と呼ばれていたが、極楽に通ずる門の意から極楽門と呼ばれている。この門には他では見かけられない「転法輪」という手で回すコマようなものが四基ついている。これは「ブッダが教えを説いた場所」という意味を表す法輪(チャクラ)を小さくしたもので、手で回すことにより「仏の法を教えてください」と挨拶代わりにしたのが起源。
見真堂、ご本尊は阿弥陀如来、右に聖徳太子像 親鸞聖人《見真太子)像
◆金堂と五重塔を臨む◆

上2枚・・五重塔と金堂の屋根。

上左の写真・偶然に出会った苫小牧市の岡田義範さんが撮ってくださった。

左の写真は、西大門から撮った金堂の屋根と五重塔。
       ★金堂★

聖徳太子のご本地仏である救世観音をお祀りし、四方を四天王が守護している。毎日11時より舎利出しの法儀が厳修される。お舎利を頭にあててもらおうと多くの信者さんが参詣される。
      ★講堂★

経典を講じたり法を説いたりする七堂伽藍の一つのお堂。講堂内は東を冬堂、西を夏堂と呼ぶ。冬堂には現世の人々の悩みや苦しみを救う十一面観音菩薩坐像、夏堂には来世極楽に人々を救う丈六阿弥陀如来をお祀りしている。現世と来世の二世に渡り、人々を安楽へ導きたもうようにと願いが込められている。
       ★六時堂★

境内の中央に位置する雄大なお堂で、昼夜6回にわたって諸礼賛するところから六時礼賛堂の名があります。
薬師如来と四天王等をお祀りしており、供養、納骨等を行っている。


 建物の全庭に「亀の池」があり、その上に石橋で組まれた大きな「石舞台」がある。亀の池には沢山の亀がいる。
★北鐘堂★正式名称-黄鐘楼 ★南鐘堂★正式名称-鯨鐘楼
       ★南大門★
★中 門★

主要伽藍の南端、南大門の北に位置し、脇の間に伽藍の守護神である金剛力士(仁王像)を祀っていることから仁王門と呼ばれている。飛鳥時代の創建当初の様式を再現し昭和38年に落慶。

中門の後ろに五重塔を重ねて撮影。
        ★東大門★
          ★石の鳥居★

正面に西大門、五重塔が見える。右側の扁額には、「釈迦如来 転法輪処 当極楽士」と書いてある。これは「お釈迦さんが法を説く所であり、ここが極楽の東門の中心である」の意がある。もとは木造だったが1294年に現在の石造りになった。日本三鳥居の一つ。

★吉野の銅の鳥居、宮島の木の鳥居、四天王寺の石の鳥居。