東京に関する真実
Tokyo Story

銀座は23区内に100カ所以上ある
1612年に駿府の銀座を江戸に移してから銀座は金融と商業の中心地となる。
今は外国の有名ブランド店が並ぶ高級ストリートとして有名。
じつは都内23区にはこの銀座を名乗る商店街が111カ所もある。
戸越銀座、砂町銀座、などなど。ないのは千代田区だけだ。

東京は一人暮らしが多い
約1200万の人が住んでいる東京には5.144.611世帯がある。
単純平均では1世帯あたり2.3人となる。
しかし実際には単身者世帯が33%もあり、約390万人が一人暮らしだ。
毎年進学や就職のために全国からやってくる若者。
また高齢者の一人暮らしも年々増えており、
結婚しない女や結婚できない男も増えてきている。

東京の通勤地獄の理由
東京では850万の人が働いている。昼間の労働人口数だ。
そのうち725万人は23区内に就業している。
850万人のうち都民は500万人。あとはは近県からの通勤者だそうだ。
朝と夕刻のラッシュアワーはこの350万人の大移動によってもたらされる。
例えば新宿駅ではJR、地下鉄、私鉄合わせての1日の乗降客数が100万人というが、
これは江戸の人口がそのまま毎日通過しているのと同じになる。

江戸は120万人都市.東京の人口は
世界最大の都市といわれた江戸の町の人口は120万人といわれる。
その後膨らみ続ける東京の1998年4月の人口は11.809.613人
このうち外国人は268.428人。
しかも毎年転職・転勤・就職で7〜8万の人が東京に転入してくる。
そのうち進学のためという19・20歳の若者が3万人いる。
もちろん同じくらいの数で転出もある。
住宅を求めて近県へ移るというケースがほとんどである。

東京都の区域分け
江戸から明治になり平成の今日まで東京地域の名称は様々に変化した。
1998年現在の東京では23区。26市。7町。8村。
という区域分けになっている。

東京にも村がある
文化村と答えたあなたは東京の人。でもはずれ。
正解は檜原村。島部を入れると青ヶ島村.小笠原村.神津島村.利島村.新島村.
御蔵島村.三宅村と8村がある。
檜原村ならば東京都檜原村人里◯番地となる。

江戸時代の前の東京は何といったのか
江戸崩壊後の1868年7月に明治政府により、江戸を東京と改称。
東京になって130年たつが、江戸の前は何と言ったのだろうか。
ずばり武蔵野である。1603年に征夷大将軍になった徳川家康は本格的に江戸の
開発をすすめるが、それ以前は蝦夷(えみし)が住む地として上方の人に恐れられていた地方
である。夷は東をあらわし、蝦夷はつまり東方の蛮人である。征夷大将軍は
東の民族を征するものの長の名称だ。

東京遷都の発表はいまだない
徳川幕府が崩壊し新政府は、都をどこにするかは大問題であったはず。
というのも天皇家にとって江戸は朝敵の地。みすみすその地に来るはずがない。
そこで出されたのが大阪遷都論。東京遷都論。東京と京都の東西2都論の3案であった。
結局、東西2都論に決まり明治元年(1968年)9月に京都御所を出発する。
その後還幸(京都に戻る)が翌年に東幸(東京に来る)して
江戸城を皇城とし、東京を新たな首都とした。
この新たな首都に対して政府は遷都の宣言をしなかった。
そしていまだにないのである。

西京と江戸と東京
江戸の街は上野戦争で上野周辺を焼失しただけで、徳川幕府時代のまま新政府に渡る。
その時すでに江戸遷都を考えていた新政府は、西の京(京都)に対して
東の京(東京)という名前を考えてた。
明治元年(1968年)7月には東京改称が宣言された。
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