マレーシア クアンタン イスラムの世界 2001年9月21日〜26日


☆旅の始めに
☆マレーシアのこと
☆クアンタンという町
☆イスラムチックなこと、あれこれ
☆クアンタンのゴルフ事情
☆屋台の町
☆イスラムと日本


☆旅の始めに
だいたい妻と一緒に出かけるのだが、今回はちょっと違う。
妻は12日に妻の母親と一緒にオーストリアに出かけてしまった。12日といえばあのアメリカのテロの翌日だ。飛行機が飛ぶかどうか心配だったが予定通り出発した。
妻は私と結婚する前はさほど海外旅行の経験もなかったのだが、私に引き連られていろいろな所に行っているうちにすっかり感化されてしまったようだ。母親がテレビでオーストリアのハルシュタットという町を見てすっかり気に入ってしまい、妻がそれでは私が連れて行ってあげようということになった。
今までは私に付いて来るだけだったのが、今回はいわば隊長役だ。出発前はそれなりに緊張していた。宿の予約もしない気ままな旅なので、現地では宿を探したり列車の時刻を確認したりと面倒くさいことも多いだろう。だが、こうした経験は必ずためになるし、いい思い出になるのだ。私としては喜んで送り出したのだ。
とはいうものの、無事に旅をしているのか少々心配ではあった。昨日国際電話があって万事順調とのこと。
さあ、これで私も安心して旅に出られる。
妻の帰国を待たずにマレーシアのクアンタンという町に行くのだ。相棒は大学時代の同級生のH君。男同士の旅もたまにはよいではないか。

☆マレーシアのこと
マレーシアという国は日本にあまりなじみがないのではないだろうか。マレーシアと聞いてピンとくる人はあまりいないだろう。日本にはマレーシア料理店もあまりないし、スポーツでもあまりでてこないし。
私はマレーシアに行くのは4度目だが、最後に行ってから7〜8年はたっているので、正直なところあまり記憶に残っていない。ガイドブックで少しおさらい。人口は2200万人。多民族国家で、マレー人・中国人・インド人の比率が6:3:1。歴史的にはいろいろな変遷があってどうにもわかりづらい。(オランダやイギリスの植民地だった。)第2次大戦時は日本に占領され、戦後1957年にイギリスから独立した。首相は結構有名なマハティールさんで、もう20年も首相の地位にある。すず、石油等の鉱産物の輸出で有名だが、東南アジアで唯一国産車(PROTONブランド)を生産している国であり、2020年に先進国入りすることを目標としている。そうした意気込みの表れであろうか、新クアラルンプール空港は東南アジアのハブ空港を目指し2〜3年前に開港した巨大な空港である。ガラス張りの斬新なデザインで成田など問題にならないくらい機能的な空港のようだ。空港ではマレーシア航空のおしゃれな制服のスッチーの姿が目立ちマレーシア旅情が高まるのだ。
まあこんなところか。

☆クアンタンという町
クアンタンはクアラルンプールから北へ約250km、飛行機では40分のところにある。マレー半島の東側の海岸というと何となくイメージできるだろうか。
マレーシアは9つの州から成っているが、クアンタンはパハン州の州都である。ガイドブックを見ると商工業都市と書いてあり、あまり観光都市という感じではないようだ。そんな大きな町ではないようだ。ガイドブックに人口は書いてないが、うーん、20万人くらいか。ただ、クアンタンから北へ車で1時間行ったところにチェラティンというビーチがあり、ここには地中海クラブがある。それゆえクアンタンの空港などでもちらほらと日本人を見かけた。おそらく地中海クラブに行くのだろう。
私がなぜクアンタンに来たのかというとあまり理由はない。強いて言えば、そこには海とゴルフ場があるから、ということになる。
こちらに来てから知ったのだが、マレーシアの東海岸はマレー人が多いところらしい。マレー人はイスラム教徒だから、ここは基本的にはイスラムの世界なのだ。町には大きな青いモスクがあり、いかにもイスラムの町といった感じ。写真を撮るのを忘れてしまった。残念!
町には大きなショッピングセンターがいくつかあり、こうしたショッピングセンターはもうアメリカも日本もマレーシアも同じようなもの。マックもあれば、ケンタッキーもある。ただ、チャドル(頭巾)を被った女性が目立つのがマレーシアっぽいところか。
クアンタンの夜は楽しい。というのは屋台街がいっぱいあるからだ。夜、町を歩いていると何やら人がいっぱい集まっているところがある。そういうところは大体屋台街なのだ。単なる空地に屋台がいっぱい集まっているところもあれば、体育館のように屋根が付いているところもある。
私達が泊まったホテルは町から車で15分ほどのチェンペダク・ビーチに面している。素朴なビーチで地元の人が水遊びをしている。イスラムでは人前で肌を晒すのはあまりよろしくないことらしく、服を着たまま海に入っている人も多い。(もちろん中華系の人は結構大胆に肌を晒しているが。)特に夕暮れどきになると人が増えてくる。ここが日本の海とはちょっと違う感じ。
自然に恵まれたところで、ホテルのまわりには野生の猿がいっぱいいる。昼下がりなどホテルのベランダでのんびりと昼寝をしていたりする。微笑ましいが洗濯物をとられやしないかとちょっと心配。

☆イスラムチックなこと、あれこれ
アメリカのテロ以来、イスラムという言葉をやたらと耳にする。イスラムチックなことをいくつか紹介しよう。
*ホテルの天井には矢印があるのだ
今回泊まったホテルの天井には矢印が書かれている。これは何か?クアンタンに限らずマレーシアのホテルの天井にはたいてい矢印が書かれている。勘のいい人はもう気づいていると思うが、これはメッカの方向を示している。イスラム教では1日に数回メッカに向かってお祈りをすることになっているそうだ。
*女性はチャドルなのだ
イスラム教では女性は外で素顔を晒すことは許されない。それゆえ女性は頭巾(チャドル)をかぶっている。掃除のおばさんだって、ゴルフ場の売店のおばさんだって、みんなみんなかぶっている。最初のうちは違和感があるが、すぐに慣れてしまう。白色のチャドルは独身とかいろいろときまりがあるらしい。女学生のチャドル姿などなかなか華やかで楽しいものだ。でも、暑くないのだろうか、と少々心配になってしまう。
*お酒はだめなのだ
イスラム教の戒律は厳しい。酒は駄目、タバコもだめ。だから、酒を出すレストランがあまりない。ゴルフ場でも酒はなかった!のだ。ハイネケンの宣伝がしてあったので、ビールくらい置いてあるかと思ったが駄目だった。もちろん、外国人の泊まるようなホテルでは大丈夫だが、町で酒を飲みたいと思うと中華料理屋に入るしかない。町の屋台でもだいたい酒は駄目。中には酒を出す屋台街もあったが、まわりを見るとほとんどが中国人で、マレー人の姿は皆無だった。中国人専用の屋台街ということか。
*妻はいっぱいもてるのだ
そんな厳しい戒律のあるイスラム教だが、よく知られているように一夫多妻制なのだ。どうもコメントが難しいが、男性にとっては良い制度といえようか。(私の意見ではありません、念のため。)
友人がツアーでチニ湖という湖に行ったが、そのときのガイドさんがマレー人だったそうで、友人が「あなたも奥さんが何人もいるのか。」と単刀直入に聞いてみた。ガイドさんは「いや、僕は一人だけ。経済力がないとできないよ。」と寂しげに言ったとのこと。妻を複数持つということは家庭を複数持つということ。なかなかそうした夢(?)を実現することは難しいらしい。(笑)
ちなみにマレーシアでは妻は4人までと法律で決まっているらしい。
でも何故アラーの神は妻を複数持ってよいこととしたのか。その理由を知りたいものだ。

☆クアンタンのゴルフ事情
私の旅の特色はゴルフ。ということで、今回もゴルフバッグをふうふう言いながら担いできたのだ。
しかし、今回は体調不良。出発の3,4日前から首筋が痛いのだ。軽いむち打ち症みたいで、首を左右に回すのがしんどいのだ。
原因は定かではないが、スポーツクラブのマシーントレーニングで後背筋を鍛えようと頑張りすぎたのかもしれない。
出発前は最低4ラウンド、体力が許せば8ラウンドなどと考えていたのだが、こちらに来てからも痛みは消えず、結局初日はプレーを見送った。
2日目の今日は少々無理をしてラウンドしたのだ。
そんな状態でプレーしたのにスコアは何と自己ベストタイ!(43+40=83)だったのだ。ゴルフは本当にわからない。無欲が好結果を生んだということなのか。
さて、自分のことはこれくらいにして、クアンタンのゴルフ事情を紹介しよう。

今回泊まったホテルは「ハイアット・リージェンシー・クアンタン」で、町の中心から15分くらいのテロク・チェンパダク・ビーチに面している。近場にゴルフ場は2つある。
一つはすぐ隣(500m)のロイヤル・パハン・ゴルフコース。もう一つは20kmくらい離れたアスターナ・ゴルフコースだ。今回は当然ながらすぐ隣のロイヤル・パハン・ゴルフコースを主戦場とすることにした。
しかし、今回はプレーをするまでがたいへんだったのだ。
オープンは朝7時半ということなので、7時半を少し過ぎた頃にゴルフ場に着いた。受付に行ったが人がいない。いい加減だなあと思って待っているとチャドルをかぶったマレー女性がようやくやってきた。10分は遅刻しているのだが落ち着いたもんです。大きなノートを差し出して名前を記入するように指示された。日本でも名前を書くが、ここではハンデキャップまで書くようになっている。事前にゴルフ場のHPを見たところ、ハンデ24以下でないとプレーできないとのことだ。まあ建前に過ぎないのだろうが、このへんは建前を重んじるイギリス(単なる私のイメージ)の流れをくんでいるようだ。
それで料金を払おうとしたところ、私の友人を指さして何か言っている。何度も聞きなおしたところ、どうやら、そのシャツはゴルフシャツではないから駄目だ、と言っているようなのだ。彼の服装はというと、カジュアルシャツで前開きになっていてボタンで留めるようになっている。いわゆる普通のシャツで、たしかにポロシャツ風のゴルフシャツではない。どこの国のゴルフ場でも服装規定(ドレス・コード)などといって襟付きシャツ着用などというルールはある。彼のシャツは一応襟は付いているのだが、彼女としてはプレーに不適切と判断したわけだ。
おいおいそんな堅いことをいうなよと言いたいところだが、言葉も通じないしあきらめてプロショップ(売店)で買うことにして何とか受付をすませたのだ。
プロショップに行くと、ドアには7時半開店と書いてあるのに、鍵がかかったままだ。近くにいたお兄さんに聞くと、その表示は古くて、8時開店だとのこと。
しょうがないので、しばし待つことにしたのだが、8時を過ぎても全然開かない。10分たっても15分たってもプロショップの店員はやってこないのだ。さすがにまわりの従業員たちも同情していろいろと協議を始めた。それで、その中のオジサンが自分のポロシャツを貸してくれることになったのだ。
よし、これでプレーできると思ったが、よく考えたら私の友人はクラブを持参していない。クラブを借りようと思ったが、やはりそれはプロショップで貸し出しているとのことなのだ。
8時半になっても店員はこない。それでまた従業員達は協議を始めた。誰かが提案した。2人でクラブをシェア(共有)すればよいではないかと。たしかにそうだが、2人のボールはあっちこっちにいくわけで、それじゃあ大変だと言うと、相手もたしかにそうだと頷いている。すると新たな提案。では、2つのゴルフバッグにクラブを分けて入れればよいではないかと。
うーん、これはナイスアイデア。それで空のゴルフバッグを一つ持ってきてもらって、私のクラブのうち何本かを彼に分けることにしたのだ。さあ、これでプレーできるぞ、と思ったときにプロショップの店員の姉ちゃんがさっそうとやってきたのだ。時計を見るともう8時40分。おい姉ちゃん、40分も遅刻してるぞ!
それでどうにかクラブもレンタルしてようやくプレーにこぎつけたのだ。
お国柄って面白いもんです。
服装とかには結構厳しい(私も受付の姉ちゃんにシャツをズボンの中に入れるように注意されてしまった。)のだが、みんな時間にはルーズだったりするわけだ。
今日は日曜日だったので、グリーンフィーは150リンギット(約4500円)と結構高い。平日(75リンギット)の倍なのだ。キャディを頼むとあと30リンギット払うことになる。料金表を見ると、キャディフィーと並んで「TURFMATE15リンギット」などと書いてある。TURFMATEという言葉は初耳だ。フィリピンなどのボールボーイ(ボールをセットしてくれる少年)のようなものだろうかと想像したが、全くの見当違い。TUFMATEというのは、電動カートのことなのだ。電動カートといっても日本のカートとは全然違う。表現するのが難しい。ジェットスキーのゴルフ版という感じなのだ。人がカートの後ろに立って運転するのだ。こう言ってもわからないでしょうね。もう写真を見てください。多くのプレーヤーはこれを借りて自分で運転してプレーしている。フェアウェイの走行はOKのようで、このへんは羨ましい。日本もケチなことはいわないでカートでフェアウェイを走らせてもらいたいものだ。

ゴルフ場の状況はというと、コースはまあ手入れはされているほうだ。ラフもそんなに草ぼうぼうではないし、フェアウェイもそれほど芝はうすくはない。
虫もそんなにはいない。でもイグアナがいて、これは初体験。キャディさんに聞くと危険は全くないとのこと。思わず写真を撮ってしまった。
難易度でいうとそんなに簡単なコースではない。林もあるし、池も多い。距離も結構ある。河川敷ゴルファーにとっては難易度は高いコースといえよう。
そんなコースを2人で4時間くらいかけてラウンドしたわけだ。
汗だくになって食堂でビールを飲もうとしたところ、すでに書いたとおり何とビールは置いてない!とのこと。ひえー、俺は美味しいビールを飲むためにプレーしていたのに・・・。
しかし、ここはイスラムの国。ぐっとこらえてコーラを飲んだのだった。

首の痛みは消えないが、やはりゴルフの魅力には勝てない。せっかくだからと、3日間続けてプレーした。3日目のキャディは初日と同じキャディさん。ゴルフはするのかと聞くと、大好きだという。このコースでは月曜日にキャディがプレーしてもよいとかで、彼も昨日プレーしたという。スコアを聞いたら79。げげ、俺よりずっと上手いと内心驚き、グッドスコアだねと言ったところ、彼は顔を歪めて、ベリー・バッド・スコアだという。ハンディキャップが5だというのだ。私としては複雑な心境。こんなに金と時間を使ってもうまくなれない自分が情けなくなってきた。
そんな自分を奮い立たせようと、この日は2ラウンドしたのだ。しかし、結果は無残なものだった。一昨日自己ベスト・タイのスコアを出し、「今度こそゴルフがわかった。ゴルフは腰をスムーズに回転させれば自然とまっすぐに飛んでいく。」と友人にレクチャーしたのだが、たった2日でまたまたゴルフがわからなくなってしまった。
ああ、どうしたらまっすぐに遠くに飛んでいくんだ。心の問題なのか、技術の問題なのか。ああ、ゴルフは奥が深い。悟りを開くのはまだまだ先なのだ。
とりあえず、こんな暑い中で2ラウンドした自分をほめておこう。

☆屋台の町

ミーゴレン チキンカレー クレイポット スチームボート

やはり酒を飲める店を選んでしまうものだから、中華っぽい料理中心に食べていた。
マレーシアでポピュラーなのはサテ(焼鳥)、ナシゴレン(焼飯)、ミーゴレン(焼そば)、カレー、スチームボート(海鮮なべ)といったところか。
今回クレイポットというものを初めて食べたがこれはおいしかった。土鍋にチキンと米を入れて炊き上げたもので、おこげがとても香ばしかった。それとお米が美味しかった。日本では評判の悪い細長くぱさぱさしたお米だが私は大好きだ。数年前の平成米騒動(?)のときもタイ米ばかり食べていた。今回食べたお米はココナッツミルクで炊き上げてあるらしくほんのりと甘い香りがするのだ。
クアンタンの町はイスラム色が濃いためか、あるいは町の規模が小さいためか、レストランにあまりバラエティがないように感じた。ショッピングセンターに行けば、マックやケンタはあるのだが・・・。屋台街が日本のファミレスのようなものなのではないかと推測した。家族連れで思い思いの物を食べている。
友人に旅行中何が一番おいしかったが質問した。食通の彼の舌に合うものはあまりなかったようだが、スチームボートはだしがなかなか良かったとのことだった。
旅先の料理、特になじみのない料理というのは食べつけないとなかなか美味しいとまではいかないのもまた事実。ただ、物価が安いので、2人で飲んで食べてもなかなか1人1000円までは食べられない。屋台ですませたら1人150円程度だ。やはりこの安さはありがたい。

☆イスラムと日本
今は帰りの飛行機の中。
機内で配られた南国新聞とかいうマレーシア在住日本人のための情報誌がある。そこに書いてあったのだが、マハティール首相が「アメリカに学んだ日本の失敗を反面教師として、その失敗を繰り返さないようにしたい。」と言っている。マハティール首相が言いたいのは、日本は自国の文化に相容れないものも含めて何でもアメリカ流にしてしまった(彼は終身雇用制の崩壊を例に挙げている)ために、現在非常に不安定な社会になってしまった、ということのようだ。
たしかに日本は何から何までアメリカの真似をする。こんな状況を見ると、そもそも日本って国は大昔から真似ばかりしてきた国で、そんなに確固とした文化なんてないような気もしてしまう。国民性ってやつなんだろうけれど。でも現在の日本で起きているオゾマシイ出来事(小学校に乱入した男の話とか、自殺者が年間3万人だとか)を見ると、さすがの私でも何でこんな社会になってしまったんだ、という気持ちになる。
一方マレーシアはたしかに秩序があり、治安も安定しているようだ。ただ、自由はあまり大きくない。政治的な話はあまりおおっぴらにできないらしい。友人の話によると、ツアーのガイドはイギリス人から現在の政治状況について質問をされたが、コメントできないと答えたそうだ。ましてや宗教的な制約は大きい。禁酒禁煙だもんなぁ。
友人と話した結論は、結局はバランスの問題ということに落ち着いた。当たり前といえば当たり前だが。
20〜30年前の日本くらいがバランスの取れた国ではないか、という話になってしまったが、昔をよき時代と思うのも私たちが年を取った証拠なのかもしれない。

なんてことを書いていたら、もう日本も間近となってきた。
ああ、明日からまた会社。せいぜい頑張ってよりよい社会になるよう貢献することにしましょう。
どうも最後は湿っぽい話になってしまった。
お粗末でした。


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