遠山勉の「知財オピニオン」


このコーナーでは、知的財産に関連するニュースや多方面の情報を紹介し、今後の進む方向を模索してみたいと思います。
(○が紹介記事、◆が遠山の感想・意見)



○養老孟司 バカの壁 新潮社より

 いまベストセラーになっている養老孟司氏著 バカの壁を読んだ。その72頁に次のようなことが書いてあった。
「リンゴはどれを見たって全部違う。なのに、どれを見たって全部違うリンゴを同じリンゴと言っている以上、そこにはすべてのリンゴを包括するものがなきゃいけない」 この包括する概念を彼(プラトン)はイデアと定義したのです。
 それは、まさに我々が意識の中で、全てを同一のものだと認識することができる故に起こる現象なのです。」

 特許を扱う者として、このことは非常に興味深い。具体的実施技術の包括的上位概念として、発明たる「技術思想」が観念され、特許請求の範囲に「イデア」として「発明特定事項」が記載されるわけです。そこには、前提として、「意識の中で、全てを(抽象概念として)同一のものだと認識することができる」能力が必要とされます。ところが、中には、この抽象概念を認識できない人がいる。そういう人は、特許の世界には向かない人である。具体的技術としての発明と、抽象化した包括的上位概念としての発明との区分けが観念上できない。これは特許マンとして致命傷である。

○「知識社会」はデータが命(03/04/30:読売新聞夕刊) 
猪口 孝 東京大学東洋文化研究所教授・政治学

 4月30日の読売新聞夕刊に、標題の記事が載っていた。タイトルに惹かれた。
 猪口教授によれば、「技術革新は新しい情報の組み合わせによって可能になるのである。知識社会は手で触って感じられるものではなく、言葉を通じて知的にしか捉えられない現実世界を相手にする」という。そして、物作り崇拝の日本では知識社会に対応できない旨指摘している。
「何が悪いのか。現実世界を虚心に体系的に観察整理分析することが疎かにされている。」「虚心にデータベースを構築するシステムが不可欠である。」そして、さらに、問題なのは言葉だけで勝負する社会科学であるが、日本では2つの欠陥がある。一つは、欧米の理論を紹介するだけにとどまり、空理空論に陥った点、第2にそれに反発して閉鎖的に狭い対象を解剖する学者たち、を指摘する。
 氏は続ける。「欧米の学者は未開拓地であるアジアの社会的現実のデータベース構築に熱心である。」「ひどく物作りに取り付かれたような日本社会の風潮は、必ずや近い将来復讐を受けると思う。」「社会をどのようにデザインするか。そのためにどのようなデータベースを構築するか。社会の仕組みをデザインすることが社会科学の最大の役割の一つであるが、日本社会はデータベース構築を徹底的に軽視している。」

◆ 物作りを重視しているからといって、直ちにデータ軽視ということにはならないと思うが、日本社会が、「情報」に対する価値を軽視していることは、知財を専門としている者としては、実感せざるを得ない。情報が「ただ(無料)」の国では、知財は守れない。現在の日本で、「情報」が無料とはいえないものの、情報に対する対価はまだまだ低い。個人的意識レベルが低いのである。そういう国で、だれがデータベースを構築するであろうか。構築しても価値を生まないと思ったらだれも構築しないだろう。
 しかし、猪口教授が言うように、「情報社会」はますます近づいている。物作り社会と情報社会の両立が必要となろう。

 ところで、猪口教授の記事を読んで、大学時代の社会科学の教授:高島善哉先生の授業を思い出した。「社会科学とは、社会を科学する学問である。科学するとは、物事を分析的に見るということである」との授業は今でも忘れられない。猪口教授が正しければ、日本の学者は科学していないということになる。