子どもの心
−スカート丈に揺れる少女たち−(平成13年11月5日読売新聞)
より

弁理士 遠山 勉
2001/11/12


 授業開始のチャイムと同時に、女子生徒二人がふくれっ面で保健室に入ってきた。このタイミングで滑り込んで来るときは大抵、何か問題を抱えている。本音で話したい、だれかに自分の話を聞いてほしい―――切羽詰まった表情を見逃さないように養護教諭の私は心がけている。もちろん「ほら、授業よ。早く教室に戻りなさい」と軽く追い返すこともあるが、これまでの経験では授業に数分遅れても話を聞いてやった方が、子どもたちは気分転換しやすいようだ。この日、彼女達は休み時間に学年の先生にお説教されていたらしい。「隣のクラスの○○の方がもっとスカート短いのにさぁ」「そうだよ。ひざまであるスカートなんて、学年ではあの子とあの子とあの子くらいだよ」―――。二人の話には、やたらとほかの名前が出てくる。子どもじみた責任転嫁だなあ、と思いながら話を聞いていると、「先生が中学の時は?」と話の矛先が急にこちらに向いた。「うーん。あのころはひざが見える人なんていなかったわよ。みんな長くしたかったから」と話すと、一人が妙に素直な声で「私も長いスカートがはやっているときに生まれればよかったな」と言った。仲間に合わせて短いスカートをはいているが、実はぽっちゃり形の自分の体形が大嫌い。できれば脚を隠したいという。そんな気持ちだったとは知らなかっただけに、ハッとした。確かに言われてみると、学校にはいろいろなスカート丈の生徒がいるが、一緒に行動しているグループごとに見事にそろっている。まるで自分の所属グループやそれぞれの力関係を示しているようだ。それは親や教師の影響や学校の規則などよりずっと重い掟なのだろう。彼らを教室に送り出しつつ、スカート丈一つに神経をとがらせなければならない子どもたちの現実にため息が出た。



 上記の記事から、自立及び自律のできない子供達、そして、それを許さない日本の社会が見えてくるように思える。子供の頃からこのような環境で育ち、グループの暗黙の「規律」に縛られて生きてきたとしたら、大人になって(個人の)創造力を働かせようといくらかけ声をかけてももはや手遅れなのではないでしょうか?
 何がそうさせてしまうのでしょうか? 日本の社会特有なのでしょうか?

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